ただのADHD・ASD両刀型学生の日々#1

最近、感情の整理がつかなくなってきたので日記代わりに気が向いたら思ったこと書いていきます。

 

いろいろな人と関わることが増えて、より自分の考え方が人とズレていることがよくわかってきました。特に価値観の違いが大きく、自分はとにかく周りの人間が信じ切れていなくて、自分が一つでも話で不用意なことを言うと周りの反応を見てしまって、その瞬間に全員から嫌われてしまうんじゃないかと思ってしまいます。それに加えて、自分の未来についてちゃんと考えることができなくて、2年後くらいに全員の前から消えてもいいかなって思ってます。その影響かもしれないんですけど、後先考えないお金の使い方をしてしまうんですよね。

今の自分がそのまま1年後生きているとも思えなくて、絶望して消えていくかもしれないって思うともうなんでもいいかなって自暴自棄気味になっちゃうことが最近増えてきました。もういっそ振り切れた方が自分が楽になれるのかなって思います。まあ多分なんやかんやで適当に遊びながら生きていくんでしょうね。

 


話は変わりますが、就活の代になり、就活を進める中で何が自分にとって大事なのかよく考えるようになりました。インターンに参加したときも、周りの就活生がとにかくいい企業に入ることを考えている人や、なんとなくでやっている人もいて、人それぞれの考え方があるんだなって思います。そんな中で自分がいざ就活を進めるってなったときに何を軸に考えようってなりました。その時、自分の幸せが何かって考えようってなりました。幸せっていろいろな形があるなってその時感じて、好きなことでお金を稼ぐとか、友達と遊ぶとか、好きな人がいればその人と一緒にいるとか、人それぞれの感じ方があるなって思ったんです。その中で自分は何を優先するかって思ったときに、特に人と関わる時間を大事にしたいなってなりました。人と過ごす時間は自分にとって発見の連続で、この人はこんな考え方を持っているんだって感じたり、こういう時にこんなこと言えたら面白いなみたいなことを自分が学べる機会だって思ってます。

 

でも自分はこんな偉そうなこといえる人間じゃなくて、なぜかというと昔人を傷つけたことがあるからです。ただ自分が周りから嫌われたくなくて、一瞬ダメだって思ったときにやめる勇気がなかったただの屑なんです。だからこそ今鬱になったり、そこから検査をするとADHDASDどっちの傾向もあるって診断されたり、周りの人間が信じられなくなったりと罰を受けているんでしょう。こんな罰では到底償うことなんてできないし、ここで自分が消えたところでやってしまったことは消えないからこそ消えちゃダメだって思って今生きています。

さらにどう生きるかって考えたときに、まず傷つけた相手に謝罪することを考えました。でも謝罪したところで自分自身の自己満足でしかなくて、無かったことになんてならない。さらに相手に嫌な記憶を思い出させてしまうと思い、どう生きるかで償っていくしかないのかなって思います。ただどう生きればいいかなんて正解があるわけじゃなくて、それを考え続けることが自分に残された生き方なのでしょう。

 

内容がめちゃくちゃ重くなってしまいましたね。自分はやってしまったことを絶対に忘れずに、この先は周りの人を幸せにできる人間になれるように生きていこうと思っています。